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文太部長一家のロハスな毎日

フレンチブルドッグの文太部長と3にゃんず、幸多、あゆみ、ちびの仲良し日記とドッグフェイム情報。 

About us

*フレンチブルドッグ 文太部長*
散歩とごはんとおかあはん命。
弟妹喧嘩を仲裁する世界のケーサツ。

*茶トラ猫 幸多(こーた)*
普段はクールを装っているが、
実は一番甘えん坊で超マザコン☆

*白グレー猫 あゆみ*
下僕どもをあごで使い倒す
クールビューティツンデレクイーン。

*サバ白 ちび(Tibby)*
世渡り上手の罰当たり。
ちびの辞書に「遠慮」はない。 

一周忌

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今日はあゆみの一周忌です。

去年の今日、最初に動かなくなったあゆみを発見したとき、悲しいとか辛いとかよりも本当に意味がわからず、ひたすら「何があったん?あゆちゃん、起きて!」と叫び続けていました。パニックになりながらもおとうはんに電話したとき、おとうはんはあゆみの訃報を聞いて一体どう思ったんかなー?と後になって聞いてみたんですが、「興奮しすぎで何言ってるか全然わからんかった」そうです。ただ、何か大変なことが起きたということだけはわかった、と。

亡くなったばかりの頃は重力で体が地面に引っ張られるような重鈍い感覚があって、何もやる気が起きず、ただただ泣き続けました。泣きすぎて目と顔の充血と腫れが治まらず、人間こんなに涙が出ると目が痛くなるんやなぁ、と妙な発見もしました。

頭ではあゆみが亡くなったことは理解できても、あまりの突然の別れに体の末端部分にまで情報が行き届いてなくて、時々あゆみがいなくなったことを初めて知った細胞が騒ぎ出してそのたびにわーっと涙が出てくる、とそんな感じがしていました。

母には「そんなに泣いたらみんな(残された文太たちやあゆみも)心配するから。」って言われたけど、最初のうちは感情を抑えることができなかったし、あえて無理して抑えることもしませんでした。哀しい気持ちを我慢したところでこの辛さを克服できる気がしなかったから。思いっきり泣くことでしかこの悲しみを解放できない気がしたから。


「自分を責めてはだめ。」といろんな方が言ってくださいました。私がもし逆の立場でも全く同じことを言うし、過去にはお友達や知り合いに同じことを言った経験もあります。それでも、私は自分を責めました。「あの時こうしていれば。もっと気を付けてあげればこんなことにならなかったかもしれないのに。」と、自分を責め続けました。

それは責任感などというものではなく、その方が楽だったから。それはある意味自傷行為なのかもしれないけど、一体何にあゆみを奪われたのかわからないよりも「自分が悪かったのだ。」と、具体的に責める対象がある方が、私にとっては楽だったんです。それと、そうして自分を自分で罰することであゆみに許してもらいたいという気持ちがどこかにあったのだと思う。

そうして泣き続けて時間が経つにつれ、少しずつ冷静さを取り戻し始め周りが見えるようになりかけた頃、「自分を責めないで」と言ってくださった皆さんの温かいお言葉がじわーっと心の奥にしみ込んできて、貝のように固く閉じた心がようやくほぐれてきました。あゆみのこと、私のことを想ってくださる皆さんのお気持ちにとても救われました。


自分の中では四十九日を境に「いつまでも泣き続けるのはやめよう。」と、ちょっと頑張ることを始めました。このまま泣き続けてあゆみと暮らした日々を哀しいだけの思い出にはしたくなかったから。

それでも、日常のいろんなところに涙腺爆弾が仕掛けられていて、時々ふとした拍子にほんのちょっとのきっかけで号泣してしまうことも多かったし、まだまだ心のどこかでは「あゆみはずっと生き続けている」と信じていたし「あゆみの死を受け入れる」ということができずにいました。

そんな状況から脱したい、もっと前に進みたいと思って、今年の2月4日立春の日にそれまで見れずにいたあゆみの亡くなった日前後の写真をちゃんと見て、2017年前半のフォトブックを仕上げました。(「やっと、進めた。」)

それまでは「死を受け入れる」ということで、あゆみが本当に遠くに行ってしまう気がしていたのですが(それゆえに、「死を受け入れる」ということができなかったのだと思う)、不思議なことに、あゆみの死をちゃんと受け入れてからの方があゆみの存在を近くに感じることができるようになりました。なんてったって、あの世では不死身でどこでも自由に行けるんですもん!(笑)


5歳11か月という若さでの突然の旅立ちは、私たち家族にとってはこの上なくつらいものでした。でも、後になって考えてみればあゆみは病院が大嫌いだったので、病気で通院しなければならないとか入院しなければならないとか、薬をたくさん毎日飲なまければとか辛い治療を毎日続けなければとか、「そんにゃことするぐらいにゃら、いっそのことポイっとあっちの世界に行くにゃ!」って、あゆみが選んだ旅立ち方だったのかなぁとすら思うようになりました。病気で苦しむこともなく最期の日までいつも通り笑ってゴキゲンさんでいられたのは、あゆみにとっては逆に幸せなことだったのかもなぁと。



・・・それでも、やっぱり若すぎる死は神様のミスで、「しまった!連れて行くのはあの子じゃなかった!しょうがない。あの家には代わりに他の子を送り込むか。」と、送り込まれたのがさゆりだったと本気で思っています。

さゆりの誕生日はもちろんはっきりわからないのですが、大きさと成長具合からしておそらく7月中旬~下旬ごろだと思うんですが、そうなるとかーちゃんのお腹に宿ったのが5月中旬~下旬。やっぱりあゆちゃんが旅立った日に代わりに命が吹き込まれたんや!って。

今、健&さゆりと幸多&ちびに慣れる練習をしていると「なんだかんだ言うてあゆちゃんやったら警戒しながらも適度な距離を取れたやろうし、あゆちゃんがいてくれたら一番上手に相手できたやろうになぁ。」と思ったのですが、そもそもあゆみが生きていたら多分あの子たちには会ってないし、うちに来ることはなかったやろな。と思いました。あの子たちに会えたのも、あの子たちがうちに来てくれたのも、きっとあゆちゃんがつないでくれた縁やな~と。



そんな、一年でした。


あゆみに会えなくなって一年。今は寂しくない・・・と言えば嘘になるし、今でももう一度会いたいという気持ちは常にあるけど、少なくとも最初のころのような苦しさはなくなりました。

姿は見えないけれど、魂は今でもここに、これからもずっとみんなと一緒にいると信じています。



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あゆちゃん、ずっとずーっと大好き。



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