文太部長一家のロハスな毎日

フレンチブルドッグの文太部長と3にゃんず、幸多、あゆみ、ちびの仲良し日記とドッグフェイム情報。 

About us

*フレンチブルドッグ 文太部長*
散歩とごはんとおかあはん命。
弟妹喧嘩を仲裁する世界のケーサツ。

*茶トラ猫 幸多(こーた)*
普段はクールを装っているが、
実は一番甘えん坊で超マザコン☆

*白グレー猫 あゆみ*
下僕どもをあごで使い倒す
クールビューティツンデレクイーン。

*サバ白 ちび(Tibby)*
世渡り上手の罰当たり。
ちびの辞書に「遠慮」はない。 

猫と犬の遊び方の違い

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昨日の「もうひとつの問題」の続きです。

幸多の噛み癖問題を解決すべく、いろいろやってみたけどどれも効果がなく、遊びの方法が間違っていたことに気づいた、というところまで書きました。


私が幸多との遊び方を間違えていたのは、おそらく私の遊び方が自分でも気づかないうちに「犬との遊び方」になっていたんじゃないかなぁという気がしています。

文太とは主におもちゃを使って放り投げて捕まえさせたり、引っ張りっこをしたり、おもちゃを咥えた文太を私が追いかけさせられたり(なんでやねん。笑→「こんなん持ってるけど?」参照)、ということをしています。

まぁそもそもそれが「犬との正しい遊び方」なのかと言われたらどうかわからないんですけど、少なくとも文太は私と一緒にあれこれするだけで喜ぶし、幼き頃はその遊びの中でいろんなルールを教えてきたし、何より文太が楽しんで満足しているのでそれでいいのです。

遊びは飼い主との絆を深めるということは犬も猫も同じです。自分で言うのもなんですけど、そうやって実際毎日遊んで一緒に楽しいことをしている私@おかあはんのことは、うちの子たちはみんな大好きで、私の行くとこ行くとこにみんながついてきて、気づけばおとうはんは家の中でひとりぼっち・・・というのは文太一家あるあるです。

そうやって一緒に何かをすることで「つながる時間」を持つことが大事だと思っていたし、それは今でもそうなんですけど、猫にはもうひとつ遊びの重要な役割があることに気づいていませんでした。


(続きは [Read More] で)




それは、「狩猟本能を満たすこと」です。


もちろん犬との遊びもその役割があると思いますし、使役犬として本来いろんな役割を担う犬たち(例えば、レトリーバーは飼い主が撃ち落とした水鳥を泳いで取ってきて陸に持ち帰る、とかボーダーコリーは牧羊犬として羊を追う、とか)にはその本能を満たすような遊びをしてあげなければいけないとは思います。

でも、フレンチブルドッグのような愛玩犬にはどうしても「本気で狩りをする」というようなイメージがわかないというか、過去には猫と同じくネズミ取りとして飼育されていたというようなことが言われてますが(だから、なんとなく動きが猫っぽいところがあるんですよね)、どこかやっぱり人間ありきの犬なので、「狩猟本能を満たす」といっても『ごっこ』で十分、というような気がします。

太古から人間の護衛をする代わりに人間のおこぼれをもらうことで共生する道を選んだ犬と、現代でも生きるために本気で狩りをしなければならない(野良)猫とでは、「狩猟本能」の度合いは全く違うと思うのです。

まだちびがかーちゃんときょうだいたちと野良生活をしていたとき、いつもこっそり親子の様子を観察していたのですが、そのときかーちゃんがセミを捕まえたのを見かけたことがあります。「うわぁ、これが本気の狩りかぁ!(てゆーか、野良ネコはセミとか食べてるんやな・・・)」と感動すら覚えたのを記憶していますが、野良猫の場合、狩りの上手い下手は生きるか死ぬかの死活問題です。

飼い主と一緒に遊んでりゃ~満足の犬と違って、ハンターとしてのDNAが色濃く残る猫には遊びの中にも狩りの腕を磨く要素を入れてあげる必要があるのです。


以下、青字部分は『Think Like a Cat: How to Raise a Well-Adjusted Cat--Not a Sour Puss』からの抜粋・翻訳です。

遊びには2種類あり、ひとつは社会的遊び(飼い主や他の猫、犬などと一緒に遊ぶ)、で、もうひとつは一人遊びである。社会的遊びは運動機能を鍛え、仲間との絆をつくるのに役立ち、一人遊びは同じく運動機能を整えるとともに周りの環境を知るのに役立つ。

おもちゃを追いかけるという一見単純に見える遊びも、子猫にとっては身の回りを知る大切なプロセスなのだ。種類の違う床(フローリングやカーペットなど)、それぞれがどのような感触で、動きにどう影響するのか、どこに飛び降りれば安全なのか、遊びの中でいろんなことを学習していく。

たくさん遊び、たくさん成功することで自信のある猫に育つ。自信を持つことは捕食者である猫にとって必要不可欠なものなのだ。なぜなら「あれを捕りたいけどうまくいくかなぁ?」なんて躊躇していたら飢え死にしてしまうからである。

飛ぶものの狩り(鳥や虫など)と地上の狩り(ねずみや地を這う虫など)、種類の違う獲物の狩りに成功することで自信をつけ、テクニックを調整する方法を学ぶ。いろんな種類の獲物の狩りをすればするほど獲物によって狩りの仕方を調整することを学ぶことができ、その獲物を見れば素早く反射的に動けるようになるのである。



「猫を飼っていたから、猫との遊び方ぐらい知っている」と私が思い込んでいたのは、実家で昔飼っていたミユは時々外に出ていて(すいません、昔の飼い方だったので許してください)、その練習(遊び?)を外でしていたから、家ではちょっと構ってやる程度でさほど必死になって遊んであげなくてもよかったのだと思います。 (気が付けば裏庭にトカゲだのトンボだのいろんなものの残骸が転がっていました・・・そして時々お土産も持って帰ってきていました・・・)

外に出さない家猫には、そうやって猫が外で当たり前のようにしていることをよりリアルに「遊び」として再現し、もっと本気で狩猟本能を満たしてあげる必要があるのです。それこそが「猫との遊びの真骨頂」かな、と。

それが出来ないと、猫は自分でどうにかしようとして「行ってはいけないところ」に行ったり、「してはいけないこと」をするといった、『(人間にとっての)問題行動』が出てくるのです。


前回の記事で「おもちゃを幸多の目の前で振り回したり、幸多の運動量を増やすために激しく動かして追いかけさせたりすることは、幸多にとって満足のいく遊びではなく、イライラが募るだけだった」と書きましたが、それはなぜいけなかったのか。

まず、「猫じゃらしなどを目の前で振り回す」という行為は、おそらく私だけでなくにゃんこオーナーならついついやってしまうことだと思いますが、「よりリアルな狩りの演出」としてはあり得ないことなんです。なぜなら、実際に獲物が猫に食べられるためにわざわざ猫の前に自ら現れることはないからです。

目の前におもちゃをチラチラさせることで猫の注意をひくことはできるし、猫は反射的にパンチを浴びせるけれども、それは狩りではなく単なる防御反応なのです。

ノンストップでおもちゃを動かして追いかけさせるのがNGなのは、猫の狩りは短期戦であり、イヌ科のオオカミのように長期戦に持ち込むことはないからです。動かし続けて疲れて結局獲物は取れない、となるとその狩りは「失敗」ということになり、欲求を満たすどころか不満が残るだけになる、ということです。体を動かして疲れさせりゃ~いい、というものではないのです。

遊びの目的は満足させることであり、欲求不満を募らせるものであってはならないのです。本当の狩りは毎回成功するわけではないけど、遊びの狩りは必ず成功させて(最後は捕まえさせて)終わるということが何よりも大事だと上記の本に書いてあって、激しく納得しました。

「猫との遊びとは、狩りの練習である」ということを念頭に置くと、ずいぶん遊び方が変わってきました。


えーと、予想以上にまだまだ続いてしまいますが(^^;)、具体的な遊び方はまた後日。



相変わらずまったり大人チーム。
寒いけど日向は暖かい♪


むっふ~ん


うっふ~ん


ごろにゃ~ん








と、


むっきゃ~☆
相変わらず忙しいちびっちょ君。



うっきゃ~☆


平和、平和。


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